ここで母親の話をしておこうと思う。

慶尚道のある村から三人の若者が大阪にやってきた。
そこに母の祖父もいた。
そのうちの一人は、起亜産業の創業者となった。

在日の友人を話していると、おばあちゃんは文盲とかいうのがけっこうあたり前のように
聞かれて、そのたびに、うちはちょっと特殊だったのかもしれないと思うのだが、
とにかく、祖母は日本でうまれ、そして女学校に通った。
宝塚にあこがれて、オーディションをうけたりもしたそうだ(無謀な)。


お正月にお酒を飲んで、いささかハメをはずしたらしく、見かねた母親(曾祖母)によって、
安東に住む叔母のもとに送られて、二年ほど、行儀修行をさせられたそうな。