そのころの祖母の権勢は相当のもので、

次期は、女性初の民団団長か*1、などというのもあながちない話でもなかったようだ。    

祖母は慶北の両班の出で、学校に通うのも下女におぶわれて行ったそうだ。
そしてそれ相応の誇り高さを持っており、同胞とはいいながら、一般の在日の人を見下していた。
 


*1:関係ない人にはどうでもいい話だけど