累犯障害者

レッサーパンダ事件の犯人が知的障害者だったと知ったとき、とてもショックを受けたが、なぜそれほどショックなのかはわからなかった。いまも完全にはわからないけど、なんだろう、天使のような障害者像には違和感を持ちつつも、彼らが人に危害を加える可能性についてはあまり考えたことがなかったからかもしれない。

祖母が古本屋に行くと「私は前世を見た!(サブタイトル:三島由紀夫からの伝言)」とか、芸妓はんの一代記とか、(わたしから見れば)妙な本ばかり買ってくるのだけど、その中にめずらしく興味をひかれる本があった。元女囚が明かす、塀の中の秘密という感じの本で、そこには、女子刑務所には覚せい剤がらみの事件で服役している人が思いのほか多くて、彼女らは総じて気が弱く、流されがちで、また自身が中毒になっている場合がほとんどなので、最初に行われるテストによってごく単純な作業をする工場に振り分けられるのだと書いてあった。(あとは女囚ならではの化粧の話などもおもしろかったがこれはまた別の話。)

それを読んだときも意外な気がしたが、どうも刑務所っていうといかにもワルって感じの、いじめっ子タイプがたくさん(なんて幼稚な発想)いるように思ってしまう。

ところが本書によると実際には、入所時の知能テストによって知的障害者とみなされる人が全受刑者のおよそ四分の一に達しているのだという。
そのなかには犯罪を繰り返す人も多く、というとまた凶悪犯・・・・的な発想をしてしまうが、その犯罪は無銭飲食だったりする。

仮釈放というのは、刑務所内での生活態度によって早まったりするのかとぼんやり思っていたが、そうではなくて、いちばん重要なのは身元を引き受ける人がいるかどうかなのだそうである。知的障害者の場合、その引き受け手がいないことが多く、だから彼らはパンをひとつ盗んだ罪で満期まで服役することになる。刑期を終えて出所しても、その後はいわゆる健常者以上に厳しく、犯罪歴のある障害者を受け入れる作業所はほとんどない。そしてまたパンを盗んで刑務所に戻ってくるというようなことになるらしい。

全体に重苦しいテーマであるが、ろうあ者同士のコミュニケーションの話はとても興味深かった。彼らにとって、耳が聞こえる人の手話はとてもわかりづらいもので、NHKの手話ニュースでさえ、伝え手が聴者(健常者)の場合、ほとんど意味がわからないことすらあるのだそうだ。


ろうあ者同士の手話というのは、非常に直感的な、脳に直結した言語であって、肉体言語というと普通暴力のことになっちゃうけど、まさにそんな感じがする。


塀の中の話から、裏返して見える外の世界、そして障害をカバーするために生まれたと思っていた手話が、耳が聞こえるものには感じとれない次元に達している可能性など、本を閉じたら、ふだんとちょっと違うざわめきが聞こえたような気がした。

累犯障害者―獄の中の不条理

累犯障害者―獄の中の不条理