きれいなうつわに注がれた水を眺めて暮らしたい

このあいだNHKの日曜美術館(もう一週間前だ)を見ていたら大阪の東洋陶磁美術館の特別展「美の求道者・安宅英一(あたかえいいち)の眼 - 安宅コレクション」がとりあげられていた。そもそもこの美術館の収蔵品は安宅英一が集めたものが中心となっているのだが、安宅産業が破綻したことでその収集品は彼の手を離れ、住友に渡っている。さらに住友がそれを大阪市に寄贈したことからこの美術館ができたという。

ここを訪れたことは何度かあるが、白磁の色気にはいつもやられてしまう。ほんとに、とろけそうになる。ああ、このなかに飛び込みたいと思いながら見ている。

そのままだとガラスに頭を打ってしまいかねないところだが、たいていは見知らぬおばさんの声(「じゅーよんせいきやって」等)で現実に引き戻される。
 
しかし今回書きたかったのことはそれではなくて、アナウンサーの解説である。安宅がとりわけこのんだという品物を紹介するとき、「朝鮮」ではなくずっと「韓国」と言っていた。以前なら、こういう美術工芸品を紹介するときは、「朝鮮半島の〜」という表現が使われることが多かったように思うのだけど、いつから「韓国」ということになったんだろうか?朝鮮という言葉はいまやそれほど忌むべきものになってしまったということ*1なんだろうか?

*1:考えすぎ?