つみかさね

南海ホークスがあったころ―野球ファンとパ・リーグの文化史

南海ホークスがあったころ』
をもう一度読んでみようと思う。


で、ここからは私の話。



ちいさいころ、日曜になると南海電車に乗って教会に行った。
なんば駅のすこし手前で徐行運転に入る。
そして何台かの急行電車とすれちがったあと、
左手に大阪球場が見えてくる。

車内には、ホークス友の会の広告。スターといえそうなのは香川くらいだった。

香川は試合が終わると自転車に乗って家に帰った。
たまに近所のパチンコ屋にも寄った。

門田は奈良の自宅まで近鉄電車で、座らずに帰った。


球場の壁の掲示で、電車の中から今日のカードと試合結果がわかるようになっていた。
が、ほとんど負けていた。

そのうち、球場を見るのが嫌になって、通り過ぎるまで、わざと逆のほうを見た。



監督は痩せた身体の、やさしそうなおじいちゃん。

薄い背中を見ると悲しくなった。

だけどあるとき、昔はすごかったんやで、、、、と教えられた。